にゅいんたれすと

にゅ(New:新しく)いんたれすと(Interest:面白い)情報を扱うネットメディア

ここ1ヶ月で悟って楽になったこと3つ

スポンサーリンク

平井堅似ドマジメ鬱ブロガーのSmith♪です。

 9月の中頃からこのブログを始めていろいろ気づいたこともあれば、それ以外にもこの2016年9月というのは、僕にとっていろんなことを悟った1ヶ月だった。

 

それをこの記事で振り返ってみようと思います。

 

自分の周りは敵ではなく味方だ

f:id:hikiyosesmith:20161001045716j:plain

最近、強烈に感じてること。

僕は今までは高校2年生のあの事件以来、だんだんと今目の前にいる相手は敵か?味方か?と考えるようになり、

参考記事▼

だんだんと自分の周りのすべての物事、人物を敵だと認識するようになっていった。

 

高校生の頃は嫌いな人、合わない人が1人2人いるだけだった。

それが次第に3人、4人、いや、味方の方が少ない、、

 

と感じるようになっていき、しまいには味方が一人もいないと感じるまでになってしまった。それは家族にまで及び、さらにはテレビに出ている人にまで自分の存在を否定されているような錯覚に陥るまでになっていった。

 

こうやって文章に起こしてみると、僕が異常だったのがわかる。

だけど、その渦中にいるときは全く気付かずに苦しむのである。

 

それが鬱の怖さ、恐ろしさでもあるのかなと思います。

 

 

で、ここからが本題で。

ここ最近、なんのきっかけがあったのか、自分の周りの人物を味方だと感じるようになってきた。

 

敵と感じそうになっても、味方だと感じる補正みたいのがかかって「味方じゃん」と思うようになってきてるのです。不思議。

 

自分のことを自分で信じてあげたり、自分には価値があると思うようにしているからなのかもしれない。

それをすることによって、

 

「周りの人には自分の価値はおびやかされない」

 

ということに気づいて、自分を守る必要がなくなり、しだいにそもそも周りにいる人は自分の敵ではないんじゃないか?味方なんじゃないか?

 

と思うようになってきています。

 

周りが味方だと感じると本当に楽なんです。笑

だって無理をして自分を良く見せようとしなくてもいいから。

何か事件や事故、自分がヘマをしてしまわないか常に見張っていなくてもいいから。

 

この楽さを一度感じてしまうと、もう自分の「周りは敵だらけ」なんて自分にとって害でしかない考え方はできなさそう。

 

あと、自分の鬱が悪化するにつれて心の底から人嫌いになっていって人と会うのを避けるようになっていったんだけど、周りは味方だらけって思うと人嫌いがすごい緩和されてきた感じがある。

 

鬱病の人って、人嫌いでも本当は心の底から笑いたくて、素直になりたくてしょうがないんだよね。

 

でも、それを自分の思考が邪魔をする感じ。

これは、経験したことのある人ならうなずいてくれると思う。

 

「自分の周りは敵ではなく味方だ」

 

これがこの1ヶ月で悟ったことの1つ目

 

いつも敵を作って何かと戦っていなくても生きれる

f:id:hikiyosesmith:20161001045827j:plain

僕が最近好きなスピリチュアルの言葉に

 

「カードの請求書を見ても、いい気分になってください」

 

というものがある。

最初は、「そんなアホか、そんなこと絶対に思えるわけない」

という感じだった。

 

でも、最近1つ目の「自分の周りは敵ではなく味方だ」と感じ始めることによって、カードの請求も、他にやらなければいけないことも、自分の敵ではなく、味方に感じるようになっていった。

 

むしろ、「わざわざカードの支払いを教えてくれてありがとう」

という気持ちすら湧いてくるのです。不思議。摩訶不思議。

 

思えば、高2のあの事件以来、いや、中学生くらいから、「何かの敵にいつも立ち向かわなくてはいけない。」という謎の考えを無意識にもつようになっていった。

 

だから、自分の敵となる人をいつも探していたし、自分が今敵だと感じている嫌な物事(カードの支払いとか、手続きとか)それらを敵とみなして、だんだんそのことばかり考えるようになっていった。

 

敵なんて、自分が思考の中で作った幻想なのにね。

 

だから、この2016年9月は、自分から敵をどんどん消滅させる月でもあった。

まだまだ敵だと感じる物事は多いけど、鬱が酷かった今年の1月あたりよりは激減したように思います。

 

敵をつくるのは、おそらく自分を守る必要があるから。

常に危険があるジャングルの中にいるように、常に敵の存在をキャッチするアンテナを立てていないと、身の危険が及ぶ。

 

っていつの間にかそんなことを信じるようになっていった。

これはメディアのネガティブなシャワーを浴び続けたからっていうのもある。

 

▼参考記事

 

「わざわざ敵を作らなくても生きれるんだ」

 

これを悟った1ヶ月だった。これが悟ったことの2つ目。

 

正解がない大海原で安心して進んでいくことが大事

f:id:hikiyosesmith:20161001050010j:plain

これはブログを書き始めてすごい思うこと。ブログを運営するって、正解がない大海原に身一つで飛び込んでいくような感じがあって。

 

そして、それが人生と全く同じだって感じるようになって。

前は、絶対的な正解と安心感を求めて、外の情報にかじりついていた。

 

「どうやったらいいの?どうやったら上手くいくの?」

 

でもこれは終わりのないラットレース。

ずーっと不安なまま。

 

正解がないという世界で安心することができていなかったのです。

ブログをやっていると、たった1記事書くだけでもそのことを強く思う。

 

「ここの語尾はどうしようかな?」

 

とか

 

「何行開けたらいいだろう?」

 

とか

 

「どんなことを書いたらいいだろう?」

 

こんな感じである。もうわからないことだらけ。むしろわからないことしかない。そうなった時に今まで僕がやっていたのは、

 

「不安を解消するために成功事例を探しまくる」

 

ということ。これは参考程度だったらいんだけど、やりすぎると全く行動ができなくなる。これはブログでも同じだし、人生でも同じ。「自己啓発本を読みまくると鬱になる」っていう感じ。

 

「自分のやっていることはこれで合ってるのかな?」

 

誰しも一度は不安になったことがあると思う。

そんな時、今までの僕だったら意識のベクトルを外へ外へ向けていた。

いろんな成功事例を探しまくっていたのだ。

 

だけど、最後に判断するのは自分。

いくらいい成功事例が見つかったとしても、それを採用すると判断して行動するのは自分。だれも代わりに決断なんかしてくれない。

 

この、「たった一人で決断しなければいけない」

 

という自立した大人ができている当たり前のことを僕は今までできていなかった。だから本や偉人の言葉に頼りすぎていた。

 

でもこのブログを始めて何度も不安になっているうちに、

 

「最後は自分で決断して、そしてその決断が正しいのかどうかなんて一生わからない。だから自分が正解だ。くらいに自信を持とう。」

 

そんなことをふと思った。これもなんでそう思うようになったのかはわからないけど、なぜかそんなことを思ったのです。

 

そうすると、自分の中に「静かな自信」が生まれて、安心できるのです。「今のこれが僕の正解だ。」という感じで。この9月は、ブログ運営を通して

 

「正解がない大海原で安心して進んでいくことが大事」

 

ということを強く思った。意識、ベクトルを外側じゃなくて内側に向けるのです。それが安心するコツだなと身を持って体感しました。

 

という感じで

この2016年9月は、新しいブログを始めたことによって、まさかの自分自身と向き合って、前よりも楽になる。という現象が起きました。摩訶不思議。

ブログを始めるときはこんなこと全く予想してませんでした。

 

今まであまりに多くのことを失敗してきたと感じていて、それが今回の新ブログを運営することで全部生きてきている感じです。

 

誰かの参考になったら嬉しいです。

 

▼関連記事