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じいちゃん(82歳)の「かつお節」の話がビジネス書よりもビジネスを感じれた

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平井堅似ドマジメ鬱ブロガーすみす♪です。

 

さっき、おじいちゃん(御年82歳)と寿司を食べてきたのですが、そこで繰り広げられた会話が巷のビジネス書よりもビジネスを感じれたので紹介。 

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じいちゃんのかつお節の話

以下、(すみす♪)と(じいちゃん)で表記。

 

「(じいちゃんの昔の話になり)じいちゃんさぁ、前に貧乏で中学校の時かつお節を売って生活費を稼いでたって言ってたよね?」

 

「あぁ、ありゃ違うんや、320円のハーモニカが欲しかったんや」

※じいちゃんは生粋の関西人です

 

「え?!なんか昔の貧乏な時の感動話かと思ってたのに、、、」

 

「違うんや、当時ハーモニカが流行ってなぁ、みんな欲しかったんや」

 

「へぇ」

 

「そいで320円って言ったら当時めちゃくちゃ高価なものやったんや、わしが住んでたところは田舎だったから1日10円稼げればいい方で、そいで1ヶ月働いたら300円やろ。」

 

※ここでビジネスうんぬんの前に当時(約70年前)の物価の違いに驚く。

1946年の100円は現在の4087円、つまり当時のハーモニカの値段(320円)は現在の物価に直すと13078円。ちょうどそれっぽい値段である。

 

じいちゃん働き口を探す 

「そいで働こうにも今みたいに仕事が無くてなぁ。近くのお店で働かせてくれって言ってもうちは家族で手が足りてるからいらんって言われてなぁ。」

 

「へぇ、今みたいに求人情報とか無かったんだ」

 

「無いなんてもんやないで、みんな田んぼとか畑やったんやから。基本みんな農業をするんや。」

 

「それでどうしたの?」

 

「せやから、ちょっと栄えてる町のかつお節屋さんに行って仕事がないか聞いてみたんや」

 

「中学生なのにすごい行動力」

 

「そしたらそこのかつお節屋さんも家族で経営してて手が足りてるって言うねん。でも、頼み込んだらじゃあかつお節を卸しの値段(店で売られているよりも安い値段)でわしに売ってくれるって話になってなぁ。」

 

 

「うん」

 

「そいでかつお節を買って地元に帰って家の前にかつお節を置いといたんや、そしたらまぁよう売れたで」

 

「え、置いといただけで売れたの?」

 

「そうや、当時は本当に今みたいにスーパーマーケットなんて無かったから、家にモノを仕入れて販売するだけで売れたんやで」

 

「なるほど、今みたいにモノで溢れていないし、近所の人はなるべく近くでかつお節を買えるなら思ってたのか」

 

「そこでわしは始めて卸値と、売値の差額分が儲けになるってことを学んだんや」

 

「中学生でしょ?!」

 

「そうや。ほいであまりに売れるもんだから今度は生活用品を仕入れて家で販売するようにしたんや。生活用品もみんな欲しかったし、なんせ消耗品だからずっと書い続けてくれるやろ?」

 

「たしかに、」

 

「だからあのままわしがかつお節や生活用品を卸して売ってたら今頃ヨーカドーの会長になってたで」

 

「wwwあながちそうだったかもね」

 

 

そんなじいちゃんはその後地元の国立大学を卒業し、証券会社へ、そしてその証券会社の子会社であった不動産会社の社長になり、定年まで勤め上げ今に至る。

中学生の時のプチビジネスの経験が、のちの社長業に生かされていたのだと思う。

 

じいちゃんの知恵

まず驚くべきはじいちゃんの行動力だ。

わずか中学生にしてこの行動力。

俺が中学生の時はエロ本に夢中になっていて、どこかに出向いてモノをし入れ、それを販売しようだなんて考えもしなかった。

 

俺が感じたのは、当時はモノを買いやすい場所に持ってくるだけで売れたということ。今の時代じゃ考えられない。

今自宅前で野菜を仕入れて売っても、特別なブランドがある野菜などでない限り、みんな近くのスーパーに行ってしまってまず見向きをされないだろう。

 

でも、この話をただ「時代が違ったから」で片付けてはもったいないと感じた。

 

どの時代も共通しているのは、「多くの人が求めているものを正しい場所に置くと売れる」ということ。

俺はこのじいちゃんの「かつお節販売」のリアルな話を聞いてそれが始めて理解できたように感じた。

 

そして、世の中のビジネスの最初は全てこういったところから始まっているのだと悟る。大手スーパーのヤオコーという会社も、もとは今の会長の母が小さな町の八百屋をしていて、その八百屋の野菜が良く売れたことから始まっている。

 

「多くの人が求めているモノを、入手しやすいところに移動する」

  

じいちゃんがやったビジネスはこういうことだ。

「これが卸業というものなのだな」ととても腑に落ちた。

 

今は組織が大きくなり、卸しの会社は「商社」と呼ばれたりもするが、もともとの始まりは、この「かつお節を町から家に仕入れてきて販売する」ということと何ら変わりない。

 

ビジネスというと、どうしても「マーケティング」「プロモーション」などの小難しいカタカナ語がイメージされるが、かつお節の話のようにシンプルに捉えてみるともっと身近に感じられて面白いのかもしれない。

 

この記事もじいちゃんのかつお節

実はこの記事も、かつてじいちゃんがした「かつお節の卸業」と同じなのである。

僕は今日、ついさっきじいちゃんと寿司屋で話した「かつお節の話」が面白かったから、それを自分の脳の中に(仕入れ)、この記事に書いて(販売した)。とも言える。

 

僕がしたのはおじいちゃんの話を、ただの寿司屋での話で終わるものだったのをネット上に移動しただけ。

 

じいちゃんの場合は「かつお節(モノ)の場所を町から自宅へ移動した」が、僕は「じいちゃんの話(情報)をネット上に移動した」原理は同じだ。

ビジネスの原理原則はどの時代でも変わらない。

 

かつお節

町から→自宅へ

 

じいちゃんの話

寿司屋から→ネット上へ

 

このモノや情報を移動し人が求めるところに置いておくことが、いつの時代も、1つのビジネスになるのだ。

たとえネット社会になっても。

 

今日はそんなことを感じた日だった。

 

 

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